Simutrans/1940年〜
1940年1月、信号所設置、列車路線増設
四国地方の総人口が278万人を超え、需要が急激に増加しています。
その需要に応えるために信号所の設置と列車路線を増設したので紹介します。
画像は大豊町岩原に設置された岩原信号所です。列車が行き違いをしています。
画像右手から信号所に侵入している列車がこのたび新設された普通【丸亀−高知】です。
使用車両は他の普通列車と同じですが、客車が6両(定員480名)と増結されています。
経営計画「NEXT30」発表
このたび四国鉄道株式会社では短中長期経営計画「NEXT30」を策定しました。
1970年までの30年間に実行すべきことをまとめています。
短期目標として、1940年代に新種別「急行」の運行を開始します。同時に、適正な運行本数の確保に努めてまいります。
中期目標として、1950年代に空港を県庁所在地に設置します。同時に、線路の複線化工事も進めてまいります。
長期目標として、1960年より高速鉄道の整備、蒸気機関車の気動車への置き換えを順次進めてまいります。
あくまで計画であり、前後する可能性がありますが、今後の更新の目安にしていただければと思います。
1941年9月、急行「しまんと」運行開始
土讃線において急行「しまんと」の運行を開始しました。
停車駅は高松、丸亀、阿波池田、高知、窪川です。
急行「しまんと」の編成を紹介します。
種別【普通】に比べ牽引力のあるC59形蒸気機関車を採用。
客車を22000系から28400系と大型化することで安定した乗り心地を実現。食堂車と展望車も備えています。
なお、ご乗車には乗車券の他に急行券も必要となります。
1943年3月、急行「いよ」運行開始
予讃線において急行「いよ」の運行を開始しました。
停車駅は高松、観音寺、新居浜、松山です。
急行「いよ」の編成は前出の急行「しまんと」と同等です。
高松市の様子
1940年代初めの高松市の様子です。
手前が高松駅です。2面3線構造で、1番乗り場が予讃線、2番3番乗り場が土讃線、4番乗り場が高徳線となっています。
建築技術が進み、駅前には高層ビルを見ることができます。また、大規模テニスコートもできました。
1943年9月、ダイヤ改正
このたびダイヤ改正を実施しました。高松駅の時刻表とともに見ていきます。黒色が普通、青色が急行です。
新居浜方面へは3時間に1本から2時間に1本に増便、さらに急行「いよ」が5時30分と14時30分に出発します。
高知方面へは普通列車の一部を丸亀発に置き換えたため、普通は1日3本と減便になりました。一方で急行「しまんと」の運行により、1日4本の出発を確保しました。
徳島方面の変更はありません。
1946年6月、急行「うずしお」運行開始
鳴門線、牟岐線直通急行「うずしお」の運行を開始しました。
停車駅は鳴門、徳島、阿南、海部です。日和佐には停まりません。
編成は次の通りです。食堂車を連結しています。
鳴門線と牟岐線の間では徳島駅で乗り換えを行う必要がありましたが、今回の急行運行でより便利になりました。
また、急行の運行に際しまして徳島駅の配線の変更を行いましたので併せて紹介します。
1番乗り場を牟岐線が、2番乗り場を鳴門線が、3番乗り場を高徳線が、4番乗り場を徳島線がそれぞれ使用しています。
鳴門線は単線であるため、急行と普通で行き違いをしなければなりません。
そこで駅北部に交換設備を設置し、こちらで行き違いをするようにしました。
上り急行は2番線に入線後直進し鳴門駅に向かい、折り返し下り急行は1番線に入線します。
交換設備の渡り線は鳴門線普通が鳴門駅から徳島駅2番線に入線するときに使用します。
1946年11月、路線バス車両入替開始
路線バスが新しくなります。
比較的大きな需要の見込める都市から、路線バスを新車種へと随時入れ替えます。
従来の「小型バス」からH-Trans社製の「H-Transバス」への入れ替えとなります。
それぞれの車両のステータスを紹介します。
1947年1月、土讃線急行「しまんと」大幅増発
土讃線を走る急行列車「しまんと」を従来の1編成から4編成に大幅増発。
高松駅の時刻表を掲載します。ご覧のとおり、高知方面の急行(青色)が4時間に1本設定され便利になりました。
最後に1949年12月における四国の線路図を見ておきます。
経営計画「NEXT30」で述べたように、1950年代は複線化を進めていきます。
そのための準備として一部区間で線路がすでに敷かれ、白線が太くなっていることを確認できるかと思います。
